アメリカの日本料理事情

アメリカの日本料理事情

日米関係は第二次大戦が終了してからは緊密になり、戦後の復興も占領国アメリカの指導の下に進められました。

 

特に敗戦国である日本はそれまでの体制を全て根本的に見直したり解体したりして根幹である憲法も草案から内容の指導まで管理体制を敷いていたGHQの指導を受けて作り直しました。

 

戦争による大きな犠牲を払いましたが、ある意味では明治時代、大正時代と続いてきた政治の根本を改善する大きな機会にもなりました。

 

民主主義と言う新しい方式を学んだ日本国民は平和憲法のもとで自分たちでも自由に行動できるという事が分かり次々と欧米の良いものを取り入れては勤勉な国民性をもって戦後の復興を果たしてきました。

 

 

 

食文化においても明治維新後の海外の高級文化ばかりではなくアメリカのハンバーガーなどのファーストフードやファミリーレストランも米国から導入して全国的多店舗展開の手法も学んで成功をおさめました。

 

同時に、日本食文化も昭和40年代になって徐々に米国進出を果たして成功を収める人たちが出てきます。

 

それまでの日本料理店は戦前に米国に移民した日系人2世たちが1世の人たちから教わった家庭用の総菜やどんぶり飯を中心としたものが殆どでした。

 

 

 

サンフランシスコのブロードウェイには日系人で有名であった坂田氏が経営する「蝶々」があり人気を博していまたし、日本人町にも日系人の経営する丼もので売っていた「虎や」もありました。

 

その後に本格的な日本料理を米国に紹介したのが本郷菊富士ホテルを発祥とする高級日本料理店や日本旅館で著名であった3代目の兄弟で有りました。

 

ダウンタウンのヒルトンホテルの1階に日本の宮大工に日本で加工して貰った木材を船で運んで日本人大工2名と米国在住の大工さんとの共同作業で見事な内装を実現しました。
板前も日本から7名を連れてきましたし、サービスの責任者2名も2名を日本から招へいしました。

 

桜木町 居酒屋

 

これは大きなヒットになり東洋との窓口でもあるサンフランシスコの有名日本食レストランに成長しました。

 

2000室のヒルトンホテルンに全米各地からきて滞在する人たちを通じても全米に本格的な日本料理店として知れわたりました。

 

その後の長い年月の間に米国には数多くの日本食レストランがひしめき合っており、現在では「寿司屋」「牛丼」から「お好み焼き」「ラーメン」「居酒屋」などあらゆるタイプの日本食が普及しています。